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News

2024-04-04 2024:04:04:00:00:00
沈黙の翼『日航からの手紙』を公開
2023-11-28 2023:11:28:18:00:00
『飛行機よもやま話 第3話 お手柄 墜落を回避』を公開
2023-07-23 2023:07:23:00:01:00
沈黙の翼『封印された真相』を公開
2022-12-04 2022:12:04:22:39:10
『沈黙の翼』のテキスト版を公開
2022-09-10 2022:09:10:19:14:13
『沈黙の翼』総集編のテキスト版を公開
2022-07-28 2022:07:28:09:30:14
『沈黙の翼』 総集編 を公開
2022-01-24 2022:01:24:09:27:04
シリーズ最終回『沈黙の翼』 第3章 虚空の調査報告書 その2 を公開
2021-12-29 2021:12:29:09:19:20
JIKUSEN.JP ウェブサイト公開

Index

日航からの手紙 2024:04:04:00:00:00

「沈黙の翼」は10回目の投稿になりました。御巣鷹山の墜落事故は一貫して現物現場のデータに拘って検討してきました。その結果、「事故調説」に納得しがたい不合理性を見出し、それが通説として長らく居座っていることに、技術者として居心地の悪さを感じています。

今回の「沈黙の翼―日航からの手紙」は日航との書状のやり取りから確認できた事故の側面と、性善と性悪の挟間で狼狽する人たちの思惑に注目してお伝えします。


封印された真相 2023:07:23:00:01:00

日航123便御巣鷹山墜落事故の原因につきまして、独自データに基く研究結果を8回シリーズ「沈黙の翼」に投稿してまいりました。新たに「封印された真相」を投稿する目的は、竺川の三つの想いを共有して頂きたいからです。

  • 犠牲者に真相を報告し、弔うこと
  • 同様事故の再発防止を図ること
  • 日本の航空史を正しく継承すること

事実に語らせる竺川の調査方針を貫きながら、運航・整備・事故調査に関わった人々の思惑や行動に焦点を合わせてご紹介致します。


沈黙の翼
記録が語る日航123便墜落事故の真相

目次 Text YouTube

日航123便ジャンボ機墜落事故から36年経ちました。正式報告書の内容を疑問視する人たちの原因追及が膠着する中、竺川が航空史研究家の視点で状況を再考察し、未公開情報から得た驚愕の真実を公表します。

事故後36年を経て私の研究結果を公表するに至った動機は、4年前、私が新聞社に応募した短編小説に最優秀賞を受賞したことがきっかけになりました。小説は口笛が聞こえる日常の景色を描きましたが、その曲を歌った歌手が事故の犠牲になりました。
私は航空産業に従事した技術者の一人として事故の原因に納得できない気持ちを引きずったまま、30数年間を過ごしてきましたが、新聞小説の受賞は迷宮に入ったこの状態を、このまま放っておけないと私に行動することを促されました。亡くなった歌手から背中を押された気持ちになりました。
現役を退いた後の私の趣味は航空史の研究です。50年間に亘って収集したデータや航空時刻表などが事故の再検証にキチンと役目を果たしてくれました。
ここに記す内容に憶測はなく、客観的データは正式報告書と異なる事故の真相を浮き彫りにしました。
「真実を見るには勇気がいる」というダ―ウインの言葉を思い浮かべながら、勇気を奮って公表を決心しました。
10数分の内容を7~8本のシリーズで御紹介する予定です。英語の字幕を付け、より多くの方に視聴していただく事にしました。

第一章その1で原因の概要を明らかにしました。その2では具体的に証拠になるデータを挙げて解説します。

「共通の構造・強度・耐久性を持つ二つの機体が、同じ飛行条件で運行する場合、一方の機体が3倍の頻度で運行を繰返すとき、この機体に将来予想されることは何か。」
若いころ、データでモノを言えと叩き込まれた問題解決の場面で、憶測を一切排除して得た現物現場のデータが次々と解決の糸口を拓いてくれました。
もし上の《質問》で、高頻度で運行する機体の中の一機が完治しない古傷を抱えていたらどうなるでしょうか。 結論は誰の目にも明らかです。

今回で「沈黙の翼」は三回目の投稿になりました。一貫して客観的データのみを用い、現物現場の大原則に基づいて考察を加えてまいりました。私自身は遂に納得できる原因に辿り着いたという感触を持っております。今後は捜索救出活動と事故調査報告書発行までの各ステップについて、竺川航大の視点から見える景色をシリーズでお伝えいたします。

皆様から多くのコメントを頂戴し感謝いたします。今後もご支援くださいますよう、よろしくお願いいたします。

ボイスレコーダーは32分間録音されていました。
迷走飛行時間が30秒長ければ、最初の衝撃音は上書きされて消滅し、何が墜落の起点か論議を呼ぶ所でした。

私がこの事故の解析を始めたきっかけは、歌が聞こえる日常を描いた短編小説の受賞にあり、その曲を歌った歌手が事故の犠牲になった事でした。
歌手に背中を押されたことと、二つの衝撃音がボイスレコーダーの両端に記録されていること、録音時間が予想より2分長かったことに不思議な偶然を感じています。

若いころ、解決の糸口は現物現場にあるから足繫く身体を動かせと先輩から叩き込まれました。ここまで私は客観的な証拠を示しながら、治療されない古傷を抱える飛行機になったつもりで経過報告を行ってきました。御巣鷹の尾根の立体模型を製作し、人々が見たであろう尾根の上空に視点を置いてくまなく現場を観察しました。竺川説の確からしさに自信を深めています。

第二章その2は現物の見え方と当時の現場特定の実態について考察いたします。

沈黙の翼「記録が語る日航123便墜落事故の真相」は最終章になりました。コメントを頂戴した多くの皆様方に御礼申し上げます。
昨年7月、私は御巣鷹の山に慰霊登山しました。参道入り口付近に「すげの沢のささやき碑」があります。この碑文を見て驚きました。事故調査委員会の報告書はNTSB委員長の承認を得て発行されたと記されていました。

当時、調査と報告書の作成に当った方々の心境を想像しながら、そして日本の事故調査機関の独立性や自立性を差配した力を思いながら山頂の「昇魂之碑」に歩を進めました。
第三章は改めて事故当時に思いを巡らしながら書き進めました。

7回シリーズの最終回になりました。

このシリーズは一貫して事実に基づくデータを用い、客観性を保つという方針を貫き通しました。B747という飛行機の他に類を見ない特性の中で、過去に殆ど取り上げられなかった脚部構造に注目し、故障プロセスの足がかりを得ました。機体の最上部にある垂直尾翼と最下部にあるタイヤ群の力のせめぎあいの現場が、中間にある圧力隔壁であったということです。方向舵の力は後部圧力隔壁の上部を通り道にして16本のタイヤに届いていました。

昨年8月から7回に亘って投稿してまいりましたが、今回はご要望に応え集編に再編集し、お伝え出来なかった資料を加えながら、改めてデータに基づき事故に至るプロセスをレビューいたします。

航空憲法の撤廃など航空業界を取り巻く環境がドラスティックに変化した1985年でしたが、社会の様々な出来事と御巣鷹の事故を重ねて検証します。

節々の判断は適切だったのか。資料に年表を加えましたのでご参照ください。


沈黙の翼 竺川航大の
飛行機よもやま話

目次 Text YouTube

《沈黙の翼》は「記録が語る日航123便墜落事故の真相」全三章を計7回に分けて連載中です。やや難しい技術的な内容を含むことが避けられませんから、私が体験したエピソードの中から「竺川航大の飛行機よもやま話」を挿入して気分転換を図っていただく事にしました。

今回はその第一話「ジャンボ機とノスタルジア」です。

今後どれだけの件数をご紹介できるか分かりませんが、表紙に記載の項目を10分程度の短編に纏めてお伝えしたいと思います。

日本時間1963年11月23日早朝、初の日米テレビ中継実験でアメリカから送られてきた画像は荒涼としたモハベ砂漠の風景でした。通信衛星が地球を周回して、次に送られてきた画像はケネディー大統領暗殺の悲報でした。58年前の今日11月23日に合わせて、この動画を投稿することにしました。私の体験を交えてお伝えします。

飛行機よもやま話第二話のテーマは《モハベ砂漠の賑わいⅠ》です。

アメリカ合衆国西部に位置するモハベ砂漠が今回の話の舞台です。モハベ砂漠の空は人類の航空史を彩る数々のイベントを提供してきました。人類初の音速突破、民間による宇宙飛行、そしてモハベ砂漠は役目を終えた旅客機が最期に集う場所でもあります。

1995年のクリスマスの日、離陸直前の搭乗機の致命的な異常に気付いた私は、客席から大声を発して離陸を断念させ、事故を奇跡的に防いだというお話です。

翌1996年アトランタオリンピックの時、日本中が歓喜したサッカー日本チームの「マイアミの奇跡」と、今年2023年のプロ野球WBC優勝の偉業に見えた共通する不思議な奇跡を併せてまとめてみました。