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沈黙の翼
記録が語る日航123便墜落事故の真相
第2章 迷走孤独の32分間 その1

ボイスレコーダーは32分間録音されていました。
迷走飛行時間が30秒長ければ、最初の衝撃音は上書きされて消滅し、何が墜落の起点か論議を呼ぶ所でした。

私がこの事故の解析を始めたきっかけは、歌が聞こえる日常を描いた短編小説の受賞にあり、その曲を歌った歌手が事故の犠牲になった事でした。
歌手に背中を押されたことと、二つの衝撃音がボイスレコーダーの両端に記録されていること、録音時間が予想より2分長かったことに不思議な偶然を感じています。


皆さんこんにちは。航空史研究家の竺川航大です。

記録が語る日航123便墜落事故の真相、第二章「迷走孤独の32分間」その1を報告いたします。
第二章はドーンという衝撃音で始まり、ドーンという衝撃音で終わる32分間を対象にします。

第一章では事故原因について私の見方をご紹介しました。
幾つかのご質問がありましたので、最初にお応えいたします。ご質問は次の3点に集約できました。

最初のご質問です。
圧力隔壁から空気が漏れたという点で竺川説と事故調査委員会説は同じでないのか、というご質問がありました。基本的に二つの説は全く原因が異なり、その結果生じる現象も異なる事を再確認させて頂きます。

圧力隔壁が破れ、空気が流出したとする調査報告書に対して、私の説は圧力隔壁と胴体との間に生じた隙間から空気が漏れ、直後に空気漏れは自分で停止したというものです。

高空で圧力隔壁が破れた場合に想定される客室内環境は、極低温と低酸素のため人は直ちに失神状態に陥るか、最悪死亡してしまいます。

圧力隔壁が畳一枚分の大きさに破れた場合には、JA8119の場合、内外圧力差が約0.6気圧あり、機内のエアコンの能力では漏れ出る空気を補った上で機内環境を維持することは到底無理であることは自明です。

ちなみにB747のエアコンは地上では6分間で機内の空気を入れ替える能力がありますが、扉の大きさの穴から空気が抜ける時間は僅か1.5秒という凄まじい状況を日本航空が40年前に自らの出版物「航空知識ABC」で公表しています。

空気流出のプロセスが事故調査報告書と私の説の基本的な相違点になります。
この相違点を端的に云えば、人が32分間意識を保ち続けられるか否かということです。
事実は人々は32分間意識を保ち続けていました。

二つ目のご質問は、
JAL整備の人は日常点検で異常を見つけられなかったのかというご質問です。
私の感触では見つけることはできませんでした。

理由は極めてシンプルです。整備規定に検査するよう定められていなかったからです。
規定の遵守は絶対ですが、規定に該当しないことを検査することはありません。
従って、逆にもし規定に定められていたら異常は発見されていたかも知れません。

ところで、JAL整備陣の力量や規定遵守の姿勢は世界に誇れるレベルだと思います。例えば、SR機の一番機JA8117はJALをリタイアした後、米航空宇宙局NASAに移籍してスペースシャトル運搬機に改造されました。その折にNASAから完璧な整備に対して感謝状が送られた事が語り継がれています。

JALの整備水準は国内外の航空会社に較べて決して勝るとも劣ることはないという私の実感です。もし規定に記載があれば検査して未然に防げたというJAL整備関係者の無念の手記がありました。事故の後、検査水準は見直されています。

三つ目のご質問は一連のプロセスとフライトレコードとの関連についてのお尋ねです。
第二章のテーマ「迷走孤独の32分間」のメインテーマでもありますので、フライトレコードと私の説との関連を報告いたします。

私の説によると、垂直尾翼の破壊シーケンスとフライトレコードの流れをそのまま重ね合わせて合致させることができます。
最初に垂直尾翼の破壊の状況を示します。

垂直尾翼損壊図です。事故調査報告書から引用しました。

図の黒塗り部分は垂直尾翼の上部前側と一番後ろの方向舵の黒塗り部分は相模湾から回収され、前部トルクボックスの下部は墜落現場で回収されていますから、垂直尾翼の上部は一番最初に相模湾の上空で分離しました。

垂直尾翼は前部トルクボックスの下半分を残してスリムになった姿が写真に撮られています。
この状況から後部トルクボックスも相模湾に落下していると思われます。

DFDRのデータから図の様な破壊シーケンスを考えました。

①損壊の初期段階
垂直尾翼上部がFS395付近から亀裂が尾翼内に進展し、後部トルクボックス後端のA点付近で上部全体が後方へ傾斜しました。この時、正対断面積が減少しました。

②トルクボックス間で亀裂が成長し、後部トルクボックスと主要パーツが損壊して飛散しました。APUは下方向舵が被さる形で損壊しました。
構成部材が翼面の左右非対称に別個に離脱飛散したため、横方向の加速度が発生しました。

③後部トルクボックスが完全に損壊して、正対断面積は最小になりました。

圧力隔壁上部に発生した隙間はこの過程の中で生じました。

およそ2時間半前、JA8119が福岡から羽田へ飛んだとき、垂直尾翼は左右に揺れてミシミシと異音を発しており、後部座席の乗客は今まで経験のない不気味な音が気がかりでした。兆候は既にこの時に現れていました。

DFDRのデータと故障シーケンスに対応するデータは以下のとおりです。

データは調査報告書から引用したABCDEFGの7種類です。アルファベット記号は説明の都合上、私が付けました。個々に解説します。

Aは前後方向加速度
Bは横方向加速度
Cは迎え角
Dは操縦桿の機首上げ下げの操作量
Eは垂直加速度
Fは方向舵ペダルの操作量
Gは機首方向
夫々の値を示しています。個別に詳しく説明します。

Aの前後方向加速度には赤い丸と青い丸で囲んだ二つのピークがあります。一番目のピークは最初の衝撃音の直後にあり、進行方向に加速するという現象は外部からの前向きの力でなく垂直尾翼の損壊による正対断面積の減少が空気抵抗の減少に作用したことよると考えるのが妥当です。

二番目のピークは更に大きい空気抵抗の減少によります。この時、垂直尾翼は約70%が喪失しました。奥多摩上空を飛行中に撮られた写真がこの状態と思われます。

報告書はこの一番目のピークのデータそのものをエラーとしています。或いは圧力隔壁を破って後方に吹き抜けた客室内空気の噴流による前向きの加速という見方がありました。

しかし、些細でも個々のデータに意味があるという姿勢は崩すべきではないと思います。
異常を示すデータ群の一番最初のサインを記録装置のエラーとして片づける調査委員会の姿勢には賛同できません。

私が最初に注目した点はC迎え角グラフ上で赤丸で示した迎え角です。迎え角が前後方向の加速度変化の直後に微かに下向き変化したことに注目しました。機体運動の考察はこの小さなデータから始まりました。

最初の衝撃音の直後に現れた非常に小さな機首下げサインには重要な意味があります。
私は機首下げは機体重心の前方移動と重心より上部で空気抵抗が減少した結果であると直感しました。

そこで簡単な実験を行いました。

B747の型紙を用意し青い丸の重心位置を回転軸として固定し、重心の上下を輪ゴムで後方に引っ張りました。但し上部は二本あり一本は垂直尾翼を引っ張っています。下一本の張力と上二本の合計張力は同じで、機軸は水平線に平行です。

そこで、垂直尾翼の一部が突然飛散して風を受ける面積を減じて空気抵抗が減少した状態を想定し、上の輪ゴムをカットしたところ、下の写真の様に機体は機首を下げました。

この実験は最初期の基本動作を「見える化」するために行ったものです。

Bのグラフは横方向の加速度が最初のピークの後に発生したことを示しています。二番目のピークに至る約2.5秒の間に大きく振幅し約4秒間続きます。

加速度計は尾翼から離れた胴体中央部に設置されており、尾翼部から振動として伝わる変動が記録されています。
この振動は垂直尾翼が次々とバラバラに引き千切れて破片が飛散して行く過程を表わしていると思われます。

当然の事ながら垂直尾翼の左右の面が同時に対称的に破壊して飛散することはなく、左右面の破壊の時間的ズレが振動として加速度に表れています。

ちなみに、この時の風速は秒速約155メートルで風圧は0.4気圧の中でも1平米あたり約490キロありますから、台風で屋根や瓦が飛ばされるようなバラバラと垂直尾翼の構成部品がちぎれて破壊する状況がイメージできます。

報告書はこの横方向の加速度の発生理由を推定できなかったと記述していますが、私は部材の剥がれに伴う振動であると推定しました。

一番目と二番目のピークの開始点には約1秒間のずれがあります。二つの音は大きな破壊の起点が二回あった事を示しています。二番目のピークで垂直尾翼は破壊現象のマックスに達し、垂直尾翼の断面積が最小になりました。

Cで機体の迎え角が一瞬下がったため、Dの操縦桿操作でパイロットは反射的に反応して操縦桿を上げ方向に操作しています。上向きの赤矢印です。

JA8119は、機体上部の空気抵抗の減少と正常な推力の関係から、迎え角が大きくなり機首を上向きに転じたため、パイロットは直ちに操縦桿を押して機首下げ操作を行いました。下向きの赤矢印です。

二番目のピークの後にも一番目と同じく青色で囲んだ迎え角が下がっています。Dの青矢印のようにパイロットは今度は操縦桿をUPに引いて対応しています。つまり機体の迎え角の変動は二つとも同じ理由であると言えます。

D衝撃が一端納まった以降の操縦桿は事故発生前の位置よりマイナス約4度の範囲に移動して取り敢えず安定しており、垂直尾翼喪失後の機首上げ傾向に対処しています。水平尾翼の調整固定角度のトリム調整に相当します。

Eのグラフは垂直加速度のデータですが、機体の下降→上昇→下降の約4秒間のプロセスを如実に示しており、Cの迎え角とほぼ完全に相関します。

Fの方向舵ペダルではBで示された横方向の加速度が片側に振れ、パイロットは右ペダルを最大30度踏んで是正を試みますが、Gグラフのように機体は機首方向の変更には全く反応しません。既に垂直尾翼が喪失しているからペダル操作に反応がありません。

何れも垂直尾翼が破損した後に考えられる機体の運動ですが、これらのグラフから重要な事が幾つか判りました。

①垂直尾翼の主要部は一秒間隔をおいて二回破壊した。二回目の衝撃が大きい

②一回目の衝撃から約4秒で垂直尾翼の主要部の破壊が終了した

③一回目の衝撃から10数秒間は水平尾翼の油圧操作は有効であった。油圧はこの間生きていました。

④二度の前向きの加速度は垂直尾翼の正対断面積の二段階減少によるものと推定される。

⑤一方垂直尾翼の方は一回目の衝撃音発生の直後から操舵が不能であった。

要は、最初に機能を喪失したのは垂直尾翼であるということを示しています。
フライトレコードを最後まで読みますと、JA8119は自立能動的な飛行が不可能であったという事が確認できました。

この状況では着陸を許可されても、或いは着陸ポイントを指示されたとしても自立的な着陸が不可能であり、もしそれが出来れば墜落という最悪の事態は回避され、羽田に戻れた事になります。

エスコート機が側にいても指示に従う術がないため、XYZ軸のコントロールが完全に絶たれた状態では正確な着陸は不可能であったと思います。

客室内の減圧について触れておきたいと思います。

1972年8月、日本航空広報室が発行した「航空知識ABC」はB747について以下のように記述しています。

「高高度を飛行しているとき、もし扉が外れたりすると僅か1.5秒で大気圧まで下がってしまうので急いで降下しなければなりません」と記述しています。

ちなみにB747の扉は80インチX40インチでほぼ2平方メートルであり、事故調査委員会が空気漏れを検討したモデルのひとつとほぼ同じ面積です。

更に、「航空知識ABC」は以下のように記述しています。
「エアコンは一分間にドラム缶(一本200リットル)1200本分の新鮮な空気をサービスしている。満席の場合でも一人当たり一分間にドラム缶3本分の空気を吸える。」原文のままです。この換気量は地上では約6分で機内の空気を入れ替える能力です。

JAL「航空知識ABC」によればJA8119の場合、1.5秒で客室の空気が外気と同じ0.4気圧まで下がります。もちろん富士山の二倍以上の高度のこの環境は訓練を受けない普通の人が意識を保てる環境ではありません。

高空でエアコンは数分かけて機内全体の換気を行える能力です。1.5秒で大気圧まで抜けてしまう空気をエアコンが流出する空気を補填できないことは明らかです。まして人が普通に呼吸できる原状に回復することは不可能です。

生還者は急減圧や低温度を感じることなく普通に呼吸できたと証言しています。
JA8119の圧力隔壁に大きな穴は開いたのでしょうか。

今回は幾つかのご質問にお応えしながら、私の説をフライトレコーダーの記録に重ねて考察しました。

次回第二章その2は、目撃情報の確からしさ、墜落地点の特定、何故救助開始までに16時間かかったのか等を竺川目線で考察してまいります。

本日もご視聴ありがとうございました。

航空史研究家 竺川航大がお伝えしました。

次回第二章その2まで失礼いたします。