目次
はじめに
皆さん今日は。
航空史研究家の竺川航大です。日航123便御巣鷹山墜落事故の原因究明につきまして、2021年8月から2022年1月まで、「沈黙の翼」《記録が語る日航123便墜落事故の真相》のタイトルの下に調査結果を三章に分け、合計7回にまとめ、竺川説としてユーチューブに投稿してまいりました。
8回目の今回はご要望に応え総集編に再編集し、お伝え出来なかった資料を加えながら、改めて事故に至るプロセスをレビューいたします。
多くの方々が事故調査報告書の矛盾点を指摘しながらも、決定的な対案を示せないという焦燥感を30数年間持ち続けることになりました。私がその対案として合理性を確信したのは、ラムネ瓶のビー玉の役割に気付いたときでした。複雑巨大なメカに見えていたジャンボ機の事故原因解明の手がかりは、直ぐ近くの小瓶の中にありました。
私はボーイングの修理ミスによる後部圧力隔壁破壊説を科学的観点から保留し、ジャンボ機の機体特性とJALの機体運用上の問題から生じた圧力隔壁取付部の金属疲労に焦点を当て、竺川説として確信を持てる結論に至りました。
総集編はこのような五つの内容を順を追ってお伝えいたします。
五つの項目は①最初に故障解析五つの注目点、②二番目に解析者の思考を遮っていた基本的なハードル、③三番目に不可解な報告書と解説書、④四番目に米国NTSBと日本の夫々の思惑,そして⑤五番目に技術的検討を順に進めてまいります。
この総集編は少し長めのプログラムになりますが、途中で随時休憩していただきながら、事故調査報告書の原因説と竺川説を比較して考察頂けますと幸いです。
最初に総集編で用いる略称をご紹介します。
先ず、相模湾上空で異常が発生した時刻をタイムゼロと呼び、墜落機を登録番号を用いてJA8119と称します。事故調査委員会と航空事故調査報告書を夫々事故調および報告書と呼びます。
ジャンボジェット旅客機B747の当時の国際線用機材をLR機と呼び、国内線用機材を SR機と呼びます。JA8119はSR機になります。
全体の流れを分かり易くするためにJA8119墜落事故とJAL関わる主要事項を年表で示します。
当然のことですが、墜落事故の原因は1974年1月の機体製造からタイムゼロに至る約11年6ヶ月の間に必ず存在します。この事故に関わる多くの著作がタイムゼロとそれより後の事象に関心を寄せる中で、「沈黙の翼」は基本的にタイムゼロまでの出来事に焦点を合わせて技術的に解析しています。
この年表は各節目で振り返りたいと思います。ストップモーションをかけてご注目ください。