❸ 不可解な報告書と解説書
目次の3番目の項目は不可解な報告書と解説書です。
この事故の26年後の2011年、被害者遺族の要望に応える形で運輸安全委員会から発行された航空事故調査報告書についての解説書の表紙です。
解説書は最初に「航空事故調査報告書に新たな解析や原因の推定を加えるものではありません」と断っています。最新の進歩した解析手法を用いる事故原因の再検討の表明はなく、「報告書に書かれたことが全て」とする従来の方針を改めて表明したものになっています。
解説書の発行自体は国が遺族に向き合う姿勢を見せたという点で評価できます。
しかし、国の基本姿勢は変わらず、再調査の実行を期待することは難しいように感じました。今もって多方面から報告書の内容に疑問が指摘される中で、国の頑なな姿勢は何によるものでしょうか。
このような状況が認められる背景には、国の法律が事故調に絶対的な権限を与えているという現実があります。
法律は事故調に特権を与えており、事故調の事故原因の認定に不服を有する者があったとしても、その是正のために抗告訴訟を提起することは出来ないとしています。
事故調が調査内容を全部公開せず、権限が不法な方向に行使され、又は明らかに非合理な結論であっても、法律的には違法な問題が出てこない。事故調は報告書の結論を維持する事ができるとしています。
現状の報告書は当にこの法律の擁護の下に37年間の経過を辿って来たのだと認識させられます。しかし、解析者の立場である「事実を見て事実に語らせる」という原点に立ち返れば、科学的観点から報告書に疑義が存在する限り、真相は明らかにされねばならず、事実誤認は糺すべきであろうと私は思います。
良識ある人々の懸念は、未来永劫に亘って科学的疑問点を露わにする報告書に後進が向き合わなければならない事にあります。
何よりも真実が見えなければ同様事故の再発防止に立ち向かう事ができません。
私はシリーズの最終章で次のような感想を述べました。
「このままでは記憶が忘却の彼方に過ぎ去ったとき、人はまた同じ事故に遭遇するかも知れません。何故ならば、真実でない事故原因に対する建議や勧告は、真実に対して効果が不明だからです。」
歴史が繰返される可能性を否定できません。